清涼里(チョンニャンニ)の路地裏と、新しい町への変化
 2014/07/13 改:2017/10/01 吉村剛史(トム・ハングル)

ソウル・東大門からさらに東側に歩いた、清涼里(チョンニャンニ)。この地名を聞くと、あまり良いイメージがわかないという人もいるのは、大規模な売春地帯(置屋街)があるためでしょう。清涼里588(オーパルパル)と呼ばれています。

全盛期に比べて、だいぶ減少したようですが、私が近くに住んでいた2012~2013年ごろも、夜になると客引きのおばさんが、コソコソと後ろをつけてきて「遊んでいかない?」とよく声をかけてきました。ビルの物陰の薄暗いところで声がかかるので、恐怖さえ感じます。さっそく、清涼里を歩いてみましょう。

清涼里はどんなところ?

清涼里はどんなところなのでしょう。清涼里駅は江原道、慶尚道、そして釜山方面へと走る中央電鉄線が走る交通の要衝です。現在の地下鉄1号線は、現在北朝鮮にある元山(ウォンサン)へとつながる京元線でした。参考:清涼里のエリア情報

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駅を出て15分くらい歩いていくと、清涼寺(チョンニャンサ)というお寺が今でもあり、地名の由来となっています。また、駅周辺は住宅化しており、70年代に建てられたミジュアパート、駅の裏手には高層アパートが建っています。駅も新しくなり、ロッテ百貨店もあります。(※行政上は「清凉里」と表記しています。)

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90年代以前、韓国旅行といえば「妓生(キーセン)観光」というイメージがありました。今のなってはもう過去の話になりましたが、その代表格が清涼里588(オーパルパル)です。2004年に違法化され、あらゆる集娼街が廃止の傾向にあります。

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「青少年通行禁止区域」の文字

実際に夜、歩いて見たことがあります。ガラス窓にはピンク色の光が輝いていて背の高い女性たちが声をかけてきます。美人のようにも見えるけれど、この呼び止める声が怖いのです。無視して歩くと怒鳴っているようにも聞こえます。

何か職人気質があるようで、堂々と立っています。座ってスマートフォンを見ながら、客を待っている人もいます。一般の女性たちもとくにお構いなしに、ここを歩いて通り過ぎる人はいます。

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90年代のころは女性たちが男性の手を引っ張って、服のボタンが引きちぎれるほど、強引な客引きをしていた時代もあったのだと聞きました。21世紀に入って約15年、女性がピンク色のガラス窓のなかにいるという光景も、時代とともに消える運命にあります。

再開発プロジェクトが進む、清涼里

近年では再開発プロジェクトが進みはじめています。集娼街のあたりに高層ビルの建設が計画されているのです。下の記事には清涼里に地上50階を超える超高層ビルが建ったあとの予想図が映し出されていますので、記事のリンク先に飛んでみてください。

오랫동안 서울의 부도심 역할을 해오다 집창촌이 형성되면서 부정적인 이미지를 벗어나 청량리역 일대가 청량리역 일대가 기지개를 켜며 동부서울의 새로운 랜드마크로 급부상하고 있다.

長いあいだ、ソウルの副都心の役割をしつつ集娼街が形成されてきた否定的なイメージを脱して清涼里駅一帯が背伸びをし、東部ソウルの新しいランドマークとして急浮上している。(全国ウリ日報/2014年4月11日(韓国語)

記事には「東部ソウルの新しいランドマーク」とも記されており、今後5年のあいだに一気に町が様変わりする予定です。おそらく平昌オリンピックを視野に入れているのだとは思うのですが、それ以降になるのでは、と思います。

2016年秋~清涼里588、集娼街を歩いてみた(追記)

さて、再開発が計画されている2016年、清涼里(チョンニャンニ)。どんな変化が起きているのでしょうか。

夜になると女性たちが立つ、飾り窓はいくつかが残っています。ピンク色の光のなかで女性が立っていますが、大半は閉鎖されています。「撤去(철거)」と赤字で書かれた文字が目立ちます。

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新しいビルの工事が始まるのがまもなく、といった感じにも見えますが、これから数年のうちにすべて取り壊されるのでしょう。なかなかすぐには難しいのでしょうが、徐々に変化していくはずです。

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もともと集娼街は、鉄道の主要駅に作られ、これらも日本統治時代の名残だとされます。清涼里のほか、龍山、永登浦、千戸、そして弥阿里(ミアリ)が有名です。

すでに龍山駅前にあった集娼街は、2012年ごろに消滅し、時限的に屋台街となっています。参考:龍山屋台街~かつての置屋街は今

現在は廃止の傾向にあるので、そのほかの場所も数年以内に消滅するのではないか、と予想されます。ちなみに韓国では単純売春も処罰の対象になっており、不用意に近づかないことが望まれます。

伝統市場を見てみましょう

かつての雰囲気を感じさせる、清涼里駅周辺を歩いてみましょう。

まずは駅向かい側の路地を入ったところにある、伝統市場を見てみましょう。ここは観光市場とは縁遠い、地元の買い物客のための生活市場。チョッパル(豚足)を売る店や、衣類や日用品を売る店が並んでいます。

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旅ではどうしても観光地ばかりになってしまいますが、人々の暮らしが見えるのはこういったところ。近くの京東市場や清涼里青果市場とともにちょっとした路地裏歩きが楽しめそうです。気になるのは丸椅子が7、8席しかおかれていない小さな食堂くらいでしょうか。

そんな商店街の雰囲気を感じながら市場を出て、駅から離れるように住んでいくと、小さなお店が並んでいます。狭い路地にはアーケードのかわりなのか、天幕がかけられています。青や紺の落ち着いた色であっても原色のように鮮やかな衣類が売られていたり、また、こぢんまりとした昔ながらの食堂が並んでいます。

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奥までいくとポシンタン(犬鍋)の店まであります。きっと目立つところで店を構えるわけにはいかず、裏路地に追いやられたのでしょう。そんな狭い道を、荷台に大きな荷物を載せたバイクが通り過ぎていく。どこかタイムスリップしたような雰囲気が感じられながらも、ごく当たりまえのソウルの路地裏の風景です。

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この路地には冷麺店が並んでいます。主にでんぷんを使った冷麺の店が数軒並んでいて、咸興式の冷麺がこれに近いでしょうか。なかでも地元で有名なのは「ハルモニ冷麺」。食事どきには入れ替わり立ちかわり人が訪れる名店です。1杯4000ウォンの庶民的な冷麺なのですが、値段のわりになかなか美味しいのです。

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タデギ(辛み)がたっぷり入っていて、辛めの冷麺です。店内にも、辛いのでお好みで調節するようにと書かれているので、じぶんで取り除いてもよいのでしょう。冷麺のスープ(ユクス)は別の容器に入って出てくるので、それを注いで食べます。辛いけれどとってもさっぱりとした、淡白な冷麺です。

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朝鮮時代は王室直轄の、お供え物を作った田畑があった清涼里。19世紀末には韓国初の路面電車が開通し、日本の資本が入り込んできたあとには交通の要衝となり、この場所に遊郭ができました。そして朝鮮戦争後にはソウル近郊の農産物が列車を通じて集まり、市場が形成されたといいます。

そんな清涼里が新たな街へと進化を遂げようとしていて、新しい姿が見られるのがとても楽しみでなりません。韓国旅行の途中、ソウルの地元の姿を見てみたい、という方が気軽に散歩できる場所が清涼里なのです。


記事に関連するエリア情報はこちら:ソウル清涼里


トム・ハングルの韓国旅行ひとこと
・清涼里はソウル中心部に近いながらも、まだ再開発されていない様子がうかがえます。
・祭基洞駅~清涼里駅間は歩いても10分なので、市場散策にはもってこいの場所です。
・集娼街はもう過去のものになりつつあります。

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トム・ハングル(吉村剛史)
吉村剛史(よしむら・たけし) 1986年生まれ。31歳。2012年に韓国文化誌『スッカラ』でデビュー、その後韓国旅行、語学Webの編集・ライターを経て、文化センター講座、トークイベントでの発信も。1年8ヵ月のソウル滞在経験のほか、韓国100市郡以上を踏破するなど、地方にも関心が高い。平昌五輪開催の江原道公式ブログにも寄稿中。プロフィールお問い合わせ


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