世界遺産登録決定!韓国・百済歴史地区~公州・扶余・益山~
 2015/07/16 吉村剛史(トム・ハングル)

韓国の百済歴史地区が世界遺産に登録されることが、2015年7月4日に決定しました。韓国の世界遺産は2014年6月の南漢山城が登録されて以来で、合計12カ所目となります。

日本とも関係が深かった百済!

神話上では紀元前18年に成立されたとされる百済(ペクチェ)。その存在が知られるようになったのは四世紀中葉、近肖古王(クンチョンゴワン)の時代だったといわれています。この王の名前は、韓国の歴史ドラマ「百済の王 クンチョゴコワン」でも知られています。

百済(ペクチェ)は、日本では「くだら」と呼ばれていました。当時、高句麗、新羅、百済の三国が朝鮮半島で勢力を争っている時代でしたが、日本に仏教が伝わったのも百済を通してのことでした(538年説)。

当時日本との関係が特に深かったことでも知られています。滋賀には百済寺がありますし、大阪には「百済」という地名が残っていることにも関係しているといえます。もちろん高句麗、新羅と関係する遺跡もあります。

●百済の遺産と滅亡
戦乱が続く中で、600年の黄山伐(ファンサンボル)の戦いでは新羅と唐の連合軍が勝利をおさめ、百済(ペクチェ)が滅亡へと追い込まれます。その後、百済の遺民たちが抵抗した663年の白村江の戦いでは、倭(当時の日本)からも援軍を送ります。

しかしながら唐・新羅連合軍は、最終的に百済(ペクチェ)を破りました。この事実は日本史の教科書にも出てくるのでご存知の方も多いでしょう。

百済は、当初は漢城(ハンソン)に都を置いていますが、その後、現在の公州(コンジュ)にあたる熊津(ウンジン)や、扶余(プヨ)にあたる泗沘(サビ)に遷都したのです。

年号でいうと、熊津に都を置いた時代が476年~538年、泗沘の時代が538~660年となります。今回、これらの遺産が、世界遺産登録決定されるに至りました。

世界遺産として登録されるのは?

今回歴史遺産に登録されることが決まったのは、忠清南道・公州は、公山城、宋山里古墳群の2カ所。扶余の官北里遺跡・扶蘇山城、陵山里古墳群、定林寺跡、扶余羅城の4カ所、そして全羅北道・益山の王宮里遺跡、弥勒寺跡の2カ所、計8カ所です。

上で記したように、当時勢力を争っていた3国の遺産がすべて世界遺産登録となりました。これまでには慶州にある新羅の遺跡地、そして現在北朝鮮の開城(ケソン)にある高句麗の遺跡地が世界遺産として登録されています。参考:中央日報

いくつか写真とともにざっと見ていきましょう。

●公州(コンジュ)
まずは熊津(ウンジン)時代に築城された公州にある公山城。公州バスターミナルからは歩いて錦江を流れる橋を渡り、およそ15分ほどの距離です。

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城内はとてもゆったりしていて、歩いて散策するととても心地よい風にあたることができます。目の前を見渡すと見えるのは錦江(クムガン)。私が訪れた時には、携帯端末のプレイヤーを借りて、説明を聞きながら歩いたのを覚えています。

公州の名物のひとつとして知られているのは「栗」。公山城周辺には栗料理のお店が並んでおり、栗ピザの店があったり栗をつかった韓国料理(味噌チゲ)などを食べることもできます。グルメ通の方はこちらも必見。

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また公山城からさらに歩いて15分ほどのところには、宋山里古墳群があります。こちらには百済25代王の王陵である武寧王陵があります。

★公州へのアクセス
ソウル・江南バスターミナルから2時間

●扶余(プヨ)
下の写真は、扶余(プヨ)時代に築城された扶蘇山城(プソサンソン)です。この写真に見える川は、錦江(クムガン)なのですが、扶余では白馬江(ペンマガン)とよばれています。

百済が滅亡する際、百済の女性たちは貞節を守るため、崖から川に飛び降りたとされています。落花石という岩があり、現在は百花亭という東屋が立てられています。

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扶余では韓国最古の人口庭園といわれる宮南池(クンナムチ)がありますが、蓮の葉であふれており、この地域の料理では蓮の葉ご飯(ヨンニッパプ)が名物。

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ナツメや栗などもご飯と一緒に蒸されており、蓮の葉をひらいたときのふわっと上がる湯気の香りもまたグッド!訪れた際にはぜひ召し上がっていただきたいと思います。

そして、公州も扶余も、それぞれ徒歩で観光できる、という面では非常に魅力的です。

★扶余へのアクセス
ソウル・南部ターミナル、東ソウルバスターミナルから約2時間30分
扶余

●益山(イクサン)
世界遺産の登録は全羅北道の益山(イクサン)にも及びます。弥勒寺(ミルクサ)址の写真をアップしています。30代王の武王の時代に建てられたという寺院。こちらは益山駅などからバスを利用して訪れます。

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弥勒寺の「址」というぐらいですから、建物は残っていません。ひとつ残った西塔は21世紀直前まで残されていたわけですが、その後復元のため解体工事がされています。私が訪れた2013年3月の時点では復元工事がさほど進んでいませんでした。東塔(写真右)は復元工事が完了しています。

帰りのバス停で待っていたら、「あなた外国人?」といわれて、いろいろ話しかけられた記憶があります。日本の地方でもよくあることだとは思いますが、外国人がひとりで地方を旅をしていると何かと話しかけてくれたりします。

地元の人は「これから観光客が増えそうだ」と話していましたが、今回世界遺産に登録されることが決まり、ますます外国人観光客が訪れる場所となるでしょう。

★益山へのアクセス
ソウル・龍山駅からKTXで約2時間

トム・ハングルの韓国旅行ひとこと
百済(ペクチェ・くだら)と聞いて思い出すのは「クダラナイ」という言葉の語源。当時、百済が日本に与えたものは大きかったので、「百済のものではない=クダラナイ」という言葉が生まれたという説があります。

一方で、江戸時代には、上方(京や大阪)から下方(地方)へと輸送されるものを「下りもの」と呼んでいたわけですが、「上方から来たものではないもの=下りものではないもの」が「クダラナイ」の語源だったという話もあります。江戸時代以前から使われたという説もあり、詳細は不明です。

どちらが正しいとしても、ほかに語源があるとしても、仏教伝来など百済から伝えられたもののの影響は大きかったといえるのでしょう。また、百済を題材に扱ったドラマとしては「百済の王 クンチョゴワン(近肖古王)」「薯童謠〔ソドンヨ〕」「階伯〔ケベク〕」がありますので、ご興味ある方はチェックしてみてください。



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トム・ハングル(吉村剛史)
吉村剛史(よしむら・たけし) 1986年生まれ。韓国旅行・地方旅の総合発信者。2012年に韓国文化誌『スッカラ』でデビュー、その後韓国旅行、語学Webの編集・ライターを経て、講座、トークイベントでの発信も。これまで韓国100市郡以上を踏破。平昌五輪開催の江原道公式ブログにも寄稿中。プロフィールお問い合わせ


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