百済最後の都、歩いて巡る扶余(プヨ)の歴史散策
吉村剛史(トム・ハングル)
2018/03/31 改:2019/11/06
扶余(プヨ)は韓国中西部にある都市で、韓国で3番目に長く、黄海へと注ぐ錦江(금강、クムガン)の流域に位置しています。6世紀から7世紀にかけ、この地に百済の都がありました。
[錦江(白馬江)に船が行き交う様子]
熊津(現・公州)から、泗沘(現・扶余)へと遷都されたのは、第26代となる聖王(聖明王とも)の時代、538年のこと。この時に国号を南扶余と改めます。
熊津も錦江の流域であり、地形は比較的優れていましたが、経済的基盤が十分でなかったことが都を移した理由ともいわれています。
熊津よりも錦江の下流に位置する泗沘は、都を取り囲むように蛇行して流れており、公州と同様に外敵からの侵攻に強い地形です。また錦江、黄海を経て、日本や中国との交易も可能なのです。
泗沘(扶余)は660年に百済が滅亡するまでの約120年間、最後の都の地となりました。
この記事では扶余にある百済の歴史と、世界遺産を巡る観光をしたい方が知っておきたいスポットやグルメをお伝えします。実際に出かけ、扶余での歴史紀行を満喫するのに役立てていただけたらと思います。
扶余(プヨ)への行き方・アクセスは?
韓国中央部に位置する忠清南道・扶余は、ソウル南部ターミナルから、高速バス(直通)で約2時間。世宗、公州を経由するバスは約3時間30分かかるので、乗車の際はご注意を。東ソウルターミナルからも1日8便が出ています。
扶蘇山城の入口から宮南池までは1キロ程度と近く、扶余の中心は歩いて観光ができます。公州を午前中にまわり、扶余を午後に散策する、というプランも可能。いずれにせよどこかで1泊して、翌日の午前中も散策を楽しむ余裕があれば、なおよいでしょう。
朝鮮半島の三国時代の背景
朝鮮半島は高句麗、百済、新羅の三国が勢力を争っていましたが、扶余に都があった時期は三国時代の末期にあたります。
高句麗の勢力が強まったために漢城が陥落し、475年に熊津(公州)に遷都した百済。扶余に遷都した聖王の時代には新羅と手を組み、漢城時代の土地を奪還します。しかし最終的に新羅は百済を裏切り、その土地を百済から奪ってしまいます。聖王は新羅との戦いで戦死。
その後、武王の時代には高句麗と結託して新羅を攻め込みますが、最後の王となる31代義慈王の時代、新羅は唐(中国)と同盟を結び、660年には百済、668年には高句麗を滅ぼします。そうして朝鮮半島は、統一新羅時代(668~900年)へと向かうのです。
扶余の中心部を散策!
百済の文化は、高麗時代の歴史書『三国史記』で「質素だがみすぼらしくなく、華やかだが贅沢ではない」という意味の「倹而不陋華而不侈」と記されました。
扶余の街を歩けば、そのような百済文化を垣間見ることができます。上述のように扶余中心街は歩いて観光できるので、ひとつひとつのスポットを訪問してみましょう。
●定林寺址~仏教文化の遺構を見に行こう
定林寺(정림사、ジョンリムサ)は、泗沘遷都後に建立されたとされる仏教寺院。約8.33mの高さをもつ石塔、「定林寺址五層石塔」もまたこの時代に建てられたものとして今もなお現存しており、大韓民国国宝9号に指定されています。
日本統治時代の1942年に発掘調査が行われるまでは、この塔の正体は分かっておらず、定林寺址であることが判明したのはその時のこと。近年まで数度の発掘調査が行われています。
定林寺址に残るのは五層石塔と、復元された講堂のなかにある高麗時代の本尊像「定林寺址石仏坐像」のみ。
「定林寺を復元しよう」との声もあるようですが、塔が倒壊するという懸念もあり、意見が分かれているのだといいます。ちなみに定林寺の模型は併設の定林寺址博物館で観覧することができます。
定林寺址
観覧時間:10時~17時(冬季)、9:00~19:00(夏季)
定林寺址博物館(日本語)
●国宝の大香炉を見てみよう~陵山里古墳&国立扶余博物館
扶余の東側にある陵山里(능산리、ヌンサンニ)古墳。ここには第26代王・聖王をはじめ、歴代王族の陵墓があります。
第27代の威徳王の石室の内部には「四神図壁画」が施されており、これは当時、高句麗との文化交流があったことを推測させるものとなっています。石室の内部は見ることができないため、陵山里寺址にはレプリカが設置されています。
すぐ隣には聖王の冥福を祈るために建立された寺院、陵山里寺址があり、ここからは国宝指定の「百済金剛大香炉(백제금강대향로)」、「百済昌王銘石造舎利龕(백제창왕명석조사리감)」が発掘され、発掘当時の様子が地面の下で再現されています。
[百済金剛大香炉]
発掘された国宝は、扶余中心部にある国立扶余博物館に展示されています。
陵山里古墳はバスやタクシーで訪れなければなりませんが、博物館はバスターミナルから徒歩圏内なので、時間がなくて古墳まで行けない方は、博物館には行ってみましょう。
陵山里古墳
時間:9時~17時、9時~18時
料金:1,000ウォン
陵山里古墳
国立扶余博物館
料金:無料
国立扶余博物館
●蓮が美しい宮南池は、ドラマ「薯童謡(ソドンヨ)」の舞台
宮南池(궁남지、クンナムジ)は、第30代王・武王の時代の634年に作られた、韓国最古の人工庭園です。百済末期、王たちはこの場所で酒宴を楽しんだといわれています。
宮の南に池を掘ったという『三国史記』の記述をもとに復元された池で、仏教と関連が深い蓮が植えられています。
宮南池がある場所は「薯童公園」とも呼ばれていますが、歴史ドラマでおなじみの「薯童謡(ソドンヨ)」の舞台にもなった場所。
ドラマ「薯童謡(ソドンヨ)」のもとになった『薯童説話』には、のちに武王となる薯童(서동、ソドン)が新羅の王女・善花姫と恋に落ちて王妃にする、という話が描かれています。
実際には、敵対する新羅の王女と結婚することには疑問が残ることなどから、伝説として語り継がれています。
薯童公園は、初夏には蓮の葉でいっぱいになり、夏には蓮の花が咲きます。7月中旬には扶余薯童蓮祭りが開かれるので、この時期を目安に訪れるとよいでしょう。
宮南池の蓮は扶余の名物となっており、この地域の飲食店では蓮の葉を使った郷土料理が提供されます。
扶余薯童蓮花祭り(公式・日本語)
扶余のグルメ~蓮の葉ご飯・蓮花茶
扶余の名物は、蓮の葉ご飯。韓国語では「ヨンニッパプ(연잎밥)」といいます。ナツメや松の実のほか、高麗人参などが入ったおこわを、蓮の葉で包んで蒸したもの。葉を開くと湯気とともに、蓮の葉の香りが漂います。
[蓮の葉ご飯]
蓮の葉ご飯はお店によっても異なりますが、1人前10,000~15,000ウォンほど。これはひとりでも注文可能!韓国ではご飯ともにおかずやキムチなどの副菜がついてきます。
忠清南道・扶余という土地柄らしく、おかずには蓮根や高麗人参の天ぷらなどが出てくることもあり、蓮の葉ごはんとともに味わえます。
「百済香(백제향、ペクチェヒャン)」という伝統茶カフェでは、「蓮花茶(연화차)」という蓮の花が浮かんだ伝統茶を頂くことができます。ほのかな蓮の花の香りが旅の疲れを癒してくれます。大きな器に入っており、価格は15,000ウォン(3人分)です。(1人分5,000ウォン)
伝統茶を注文すると「蓮の花パン(연꽃빵)」という蓮の葉を使った茶菓子がついてくるので、これもぜひ味わってみましょう。扶余を訪れたら、このような蓮の葉や蓮の花を使ったグルメをぜひ堪能してみてください。
扶蘇山城(プソサンソン、부서산성)と、百済の滅亡
泗沘(扶余)に都をおいた時代に築城された扶蘇山城(부서산성、プソサンソン)は、王宮の北に位置し、王都を守る役割を果たしました。
扶蘇山を歩くと当時の土城の址が残っていることもわかります。扶蘇山には様々な建物が残っており、普段は王宮の後苑としても使われていたようです。
[扶蘇山城の入口]
●百済の滅亡
高句麗、新羅とともに朝鮮半島の勢力争いを続けてきた百済でしたが、660年の新羅・唐の連合軍が攻めてきて、論山・黄山伐(황산벌、ファンサンボル)で戦いが起こります。
百済の兵は5千人、新羅・唐の連合軍は5万人という圧倒的な兵力の違いのなかで、階伯(ケベク)将軍率いる百済軍は果敢に戦いました。4度の戦闘を経て、階伯(ケベク)将軍は戦死。ついに泗沘(扶余)は陥落して、滅亡へと追い込まれます。
扶蘇山城のコースは様々ですが、最短ルートで約30分で登ることができます。歩道は整備されているので、滑りやすい靴を避ければ問題ないでしょう。
登っていく際には、百済時代の竪穴式住居の資料館のほか、階伯将軍を含む百済の三忠臣の位牌と肖像が祀られている祠堂があります。
[落花岩付近から白馬江を望む]
扶蘇山城の山頂の下には、百済の滅亡の際に貞節を守るために、3000人の宮女たちが飛び降りたとされ、その様子が花が散るようであったことから「落花岩(낙화암、ナッカアム)」と呼ばれています。この上には百花亭という東屋(あずまや)が建てられています。
戦乱のなかで飛び降りた場所であることを考えると、筆舌に尽くしがたいのですが、ここからは錦江(白馬江)を一望することができ、川を行き交う帆掛け船を眺めることができる絶景スポットです。
ここまでやってきたら皐蘭寺遊覧船(帆掛け船)に乗りましょう。心地よい風にあたりながら、扶蘇山の全景を眺めてみましょう。大人2,000ウォン(約200円)で乗船可能、所要時間はおよそ10分です。
船を降りてから、扶蘇山城の入口の門までは、徒歩15分ほどで戻れます。
扶蘇山城
営業時間:9時~17時(冬)、9時~18時(夏)
扶蘇山城(日本語)
料金:2,000ウォン
歴史ドラマ好きの方は必見!~百済文化団地
時間に余裕がある方や扶余で宿泊をする方は、対岸にある「百済文化団地」を訪れてみましょう。15年以上の歳月をかけて造成され、2010年にオープンした施設です。
百済文化団地には当時の王宮が再現されているほか、ロッテリゾートやロッテアウトレットがある複合施設になっています。
[泗沘宮]
当時の王宮、泗沘宮(사비궁、サビグン)には当時の衣装や王の椅子などが再現されており、その隣には陵山里寺(陵寺)を復元。再現にあたっては同時期に建てられた法隆寺の五重塔もモデルになっているようです。
[陵寺]
そして目前にあるロッテリゾートは300室以上の客室があり、特級ホテル級。外観は伝統建築風に作られており、ロビーも非常に広々としています。都会に作られたホテルとは異なり、地方都市につくられた大型のリゾートホテルといった雰囲気です。
[扶余ロッテリゾート]
百済文化団地
営業時間:9時~17時(冬)、9時~18時(夏)
百済文化団地
料金:4,000ウォン
昔の香りを感じさせるコンパクトな街、扶余
ユネスコ世界遺産にも登録された百済歴史遺跡地区。百済最後の都となった扶余は、現在は中小地方都市のひとつ。街を歩いても高い建物が少なく、昔の香りを漂わせるコンパクトな町が魅力です。
そんな扶余はソウルから約2時間で訪れることができ、もちろん日帰りも可能な場所です。宿泊する余裕があれば公州、扶余のいずれかに泊まり、時間の許す限りじっくり散策をしてみてはいかがでしょうか。
公州・扶余・益山にある百済の世界遺産は以下の記事よりどうぞ。
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吉村剛史(よしむら・たけし) 1986年生まれ。ライター、他。1年8ヵ月のソウル滞在経験のほか、韓国100市郡以上・江原道全18市郡を踏破するなど、自分の目で見聞きした話を中心に韓国関連情報を伝えている。2021年1月にパブリブより初の書籍『ソウル25区=東京23区』を出版。2022年に韓国語能力試験(TOPIK)6級、2級ファイナンシャル・プランニング技能士取得。 ※韓国に関する記事制作やその他のご依頼もご相談ください。お問い合わせ 筆者プロフィール