その名のとおりの美しい港町~麗水(ヨス)
吉村剛史(トム・ハングル)
2011/04/09 改:2017/02/15
2010年7月20日、全羅南道・光州を出発した私は麗水(ヨス)に向かった。2012年には世界博覧会(麗水万博)が予定されている場所である。麗水、「うるわしいみず」と書くその文字に惹かれ、どんなに美しい海が待っているのだろうかと期待に胸をふくらませた。しかし、麗水の市外バスターミナルに到着するも海は全く見えない。
あたりは山に囲まれているようで、周辺にはモーテルと技士食堂(※)が見えるだけである。たしかに地図をみると、海までざっと3キロ以上はあるようだ。大学生くらいだろうか、海の男とでもいえるような姿をした体格のいい若いグループがタクシー乗り場に並んでいる。ちゃんと海にたどりつけるのか、と不安を覚えながらも私もその後ろに並ぶ。
タクシーは旅客船ターミナルの横に止まった。ターミナルの建物はまだ新しいようだ。正面口と隣接する道路には舗装されていない箇所があり土がみえる。ミラーガラスには空と雲が反射し青く映っている。もうすでに時計の針は午後5時を指そうとしている。宿を探さなければと少しあせり出すのだが、まだ日は陰りだす様子もない。
海岸線沿いを歩きながら宿を探す。私の経験からするとそれなりにきれいな宿に泊まりたいと思ったら、ラブホテルのような外見のところを探せば外れる確率は低い。モーテルに荷物を置き、港近くの広場から坂の上のほうに上がっていくと、大きな楼閣に出くわす。漢字で「望海樓」と書かれている。
その下をくぐりさらに階段を登ると「鎮南館(チンナムグァン)」が見えてくる。朱色の柱は抱きかかえることができないほど太く、その屋根は68本もの朱色の柱に支えられている。さらにパノラマ写真でなければ写りきらないほど横に広い。
麗水は朝鮮時代、日本の侵攻に備えた海軍の拠点となっていた。鎮南館は壬辰倭乱(文禄の役)以後の1599年に、その海軍本部の来客用の建物として建設されたものだという。鎮南館は高台に位置し、海を見下ろすことができる。戦のなかで作られた建物であるだけに見晴らしが良い。海には突山大橋(トルサンデキョ)がかかっている。
大学生ほどの男女グループが建物に腰掛け、おしゃべりをしていたり、三脚を立てて写真を撮っている人もおり、今の時代となっては心地よく海を眺められる場所である。時刻は午後7時をまわった。ようやくオレンジ色の光が差し込み、地面には長い影ができている。麗水の港も夕暮れ時を迎えた。ここでゆっくり座ってのんびりしていたかった。だが暗くなるまでの時間は限られている。この場所を惜しみつつも先を急ぐことにした。(続)
●鎮南館を出て
今回、麗水を訪れたのは海を見るため、そして全羅道の多種多様なおかず(パンチャン)と海産物を味わうため。当初の目的は本当にそれだけであった。鎮南館を出た私は次の日の列車の時刻の確認と、駅の下見をしておきたいと思い、地図を片手に歩いていった。翌日朝早くから慶尚南道方面に向かうつもりだったのである。
もう私はこのまま食事して麗水を出ても、さほど後悔はしないだろうと思っていた。日も陰りだし気もあせっていたが、何か気持ちの良い気分だった。夏休みなのか、時間が時間だからなのか、誰もおらず静まり返った中学校の横を通り過ぎる。そうすると、とある看板が目にとまった。
「眺望地點(전망지점) 1km」
この看板を見るともう行かずにはいられなかった。わずか1キロの距離なのだから。けれども暑さのせいか、その距離がとても遠く感じてしまう。もう汗が滴り落ちるどころかTシャツにもしみこんできた。看板を頼りに歩いていたが、梧桐島(オドンド)方面へと歩いているのだとわかった。
2012年に開催される麗水万博のゲートをくぐってさらに進むと、下から見ると「絶壁」と表現するのにふさわしい、ごつごつとした岩の丘の上に楼閣が建っている。そこが眺望地点らしいのである。
遊覧船乗り場の桟橋
海に面した階段を駆け上がる。息を切らしながら、吹き出るような汗をぬぐいながら。期待感のなか急ぐようにして高台へと上がっていく。
後ろをみると一面に海が広がっている。階段は決して絶壁ではないので落ちることはないはずだが、高台なのですこし足がすくむ。やっと上までやってきた。日が沈んだ西の方角はまだ明るい。ほのかに夕焼けに染まる水平線を見ると3、4堰の船が浮かんでいた。
夕暮れ時の海。まだ山の輪郭ははっきりしていて美しい。入り組んだリアス式海岸の地形だからなのか、陸地とつながっている山々は海に浮かんでいるように見える。
街のほうをみるとモーテルの看板だけが、赤や緑に光っているのが見える。夜になれば住宅の明かりも灯り、夜景も見られるかもしれない。あとでわかったのだが、この眺望地点は紫山(ジャンサン)公園の一角であるようだ。
下をみると768メートルにもわたる長い堤防が見え、その先は梧桐島(オドンド)へとつながっている。時刻は19時40分。もうさすがに暗くなる気配がしてきた。この時期の東京であればもう真っ暗であろう。降りて今度は堤防のほうへと向かった。
紫山公園を出て、梧桐島へ歩いていく。梧桐島とつながっている堤防を渡ろうするのだが、私とは逆方向に向かう人たちのほうが多い。
日が暮れるのも間近だ。時刻は19時45分。わずか4分の1足らずで渡るのを断念してしまった。丘の上からではそこまで長くは感じないが、768メートルは意外に遠い。
その前に最初の目的だった麗水駅のほうへ歩き出した。明日の列車は何時に出発するのだろうか。麗水の美しい海は名残惜しかったが次の街を目指さなければならない。20時をまわり、ついには暗くなった。海沿いの道は街灯も少なくて心細い。早く戻らなければと不安ばかりがつのり、駆けるように歩く。
市街地にはオレンジ色の光がまだらにぽつぽつと光っていた。建物が密集した都会の夜景とはまた異なる。またこれもなんとなく趣がある。夜の暗闇のなか、ガラス張りの麗水駅は強い光を放つ。砂漠の上に立つコンビニ並みの明るさといえばわかるだろうか。
だが周囲には店が1軒たりとも建っていないのである。この駅舎は2009年12月に今の場所へ移転したのだという。建物は開放感が溢れ、個人的にも気に入っているのだが、どの駅も似たようなデザインというのは何だか味気ない。
ロータリーをまわってくるタクシーに乗り込み、旅客船ターミナルまでと運転手に告げた。宿はそこから歩いて1分の距離である。タクシーの椅子にはござのようなものが敷かれ、さらに窓をあけて海風を取り込んでいたのだが、乗り込むと冷房を付けてくれた。やはり運転手と何気ない会話をするのが好きだ。一人旅だからこそなおさら話したくなるのだが、少しだけでも韓国語で話せば相手も喜んでくれる。
「お客さん、どこから来たの?」
「韓国の食べ物はどう?」
そんな何気ない会話が楽しい。
たった10分弱であったがいろいろと話した。「きょうはどこに泊まるのか?」と聞かれて答えると、わざわざ数十メートルバックし、モーテルの前で止めてくれた。
さらに少し料金をおまけしてもらい、この先に食堂がありますから、と親切に教えてくれた。こんなところも旅の楽しみである。一旦モーテルに戻ったが、20時30分を過ぎていた。店が閉まってしまうのではないかと思ったが、汗を流してから食堂へと向かった。
メニューにはやはり海産物を利用したものが並ぶ。ヘムルタン(海鮮鍋)、ナクチポックン(タコ炒め)。コッケタン(ワタリガニの鍋)などである。私はカルチジョリム(タチウオの煮付け)と焼酎(ソジュ)を注文した。全羅南道のソジュは「Maple soju」と表記されたイプセジュである。するとすぐに突き出しが運ばれてくる。
繰り返しになるが、やはり品数が多いのは魅力的だ。見ているだけでも嬉しくなってくるほど色とりどりの食材である。もちろん1人では全部食べきろうとするのはちょっと苦しいだろう。
そしてメインのカルチジョリム。ネギやカボチャも一緒に入っているのだが、辛さのほうが先行してしまう。しかし、味も辛さも含めて深みがある。
全羅南道麗水での食を堪能し、そしてほろ酔い加減になったところで店を出て、夜の港に出てみる。突山(トルサン)鉄橋とそれに結ばれた突山島の沿岸部は、青や紫などにライトアップされている。
その光が海に反射し、さらにきれいに見える。ほろ酔い加減で港を歩くのもとても気持ちがよいものである。モーテルも至近距離だ。すぐに寝られるというのも気が楽で嬉しい。(完)
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※技士食堂(キサシクタン):タクシーやバスの運転士のための食堂
※鎮南館の記述にあたり、以下のページを参考にした。
http://kiosk.yeosu.go.kr/homepage/japanese/place_01.html
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吉村剛史(よしむら・たけし) 1986年生まれ。ライター、他。1年8ヵ月のソウル滞在経験のほか、韓国100市郡以上・江原道全18市郡を踏破するなど、自分の目で見聞きした話を中心に韓国関連情報を伝えている。2021年1月にパブリブより初の書籍『ソウル25区=東京23区』を出版。2022年に韓国語能力試験(TOPIK)6級、2級ファイナンシャル・プランニング技能士取得。 ※韓国に関する記事制作やその他のご依頼もご相談ください。お問い合わせ 筆者プロフィール