美しくも傷跡残る境界の地・鉄原(チョロン)~白馬高地と安保見学ツアー | 韓国&韓国旅行 | トム・ハングル

美しくも傷跡残る境界の地・鉄原(チョロン)~白馬高地と安保見学ツアー
 2017/12/15 吉村剛史(トム・ハングル)

極寒の季節に韓国で天気予報を見ていると、気温が低い地域として、しばしば見出しに上がるのが鉄原(チョロン)。江原道北部、軍事境界線付近に位置し、最低気温がマイナス20度を下回ることもあります。

北側にも「鉄原」という地名があり、南北分断の地であることもわかります。この鉄原と金化・平康の三つを結ぶ地域は「鉄の三角地帯」とよばれる軍事上の要衝で、朝鮮戦争では激戦が繰り広げられました。

南側の人口は約4万7000人。広々とした鉄原平野では米の生産が盛んで、冷害にも強い「鉄原オデサル」という名のブランド米があります。


[鉄原・白馬高地駅前、畑の先には水田が広がる]

日本統治時代にはソウルから東海岸の江原道・元山(現・北朝鮮)までをつないでいた京元線も、戦争で分断されたといい、その地を一目見るべく、鉄原に向かいました。

●ソウルから新鉄原へ向かう
ソウルから鉄原へは、東ソウルバスターミナルから約2時間。鉄原の中心市街地、「新鉄原」に向かいます。「新」という接頭辞は旧市街地の存在を匂わせますが、まさにその通り。

後述しますが、旧鉄原市街地は朝鮮戦争の激しい戦いにより廃墟と化し、今の中心は新鉄原にあるのです。

新鉄原バスターミナル付近は鉄原郡庁や、市場、農協、そして商店が並ぶ市街地ですが、高い建物がほとんどなく、今は地方の小都市といった印象を受けます。

ここへ訪れた目的は、分断の地を巡る安保見学ツアー。新鉄原市街地から農漁村バスに乗り、約30分。漢灘江(한탄강)の景勝地、孤石亭のまえに観光案内所があるのです。

そこがツアーの出発点。ここからバスが出発するのですが、この日は月曜日。孤石亭の観光案内所からはマイカーのみツアーに参加できる、ということがわかったのです。


[安保観光の参加を待つマイカー]

車の上には青いしるしをつけ、先導する車についていく形でツアーが行われます。こんなときに「白馬の王女さま(車を保有した恋人)(第3回記事)」がいればよいと思うのですが、ここでの参加をあきらめました。

しかし観光案内所の方に尋ねてみると、白馬高地駅からは当日申込者15人以上の参加を条件に、バスツアーが行われる、と教えてくれました。

孤石亭から白馬高地駅まで行くバスの本数は非常に少ないため、仕方なくタクシーを呼んでもらったのです。しばらくするとタクシーがやってきました。

孤石亭から白馬高地駅までは約15キロ、車で約20分です。タクシーの運転士さんは、鉄原のことをいろいろと教えてくれ、朝鮮戦争当時に幼少期を過ごした方だとわかりました。

その方は鉄原が地元のようで、南北の分断について尋ねてみたところ、「家族はみな南にいるもののの、当時鉄道職員だった親戚が北へ出かけたまま帰れなくなった」と話してくれました。

●旧鉄原・労働党舎
車を止めてもらったのが、北側の施設にあたる労働党舎。1946年に建てられましたが、戦争中に破壊され、戦争後も天井が抜けた状態でそのまま残っているのです。


[労働党舎]

この労働党舎の周辺が旧市街地にあたります。日本統治時代には百貨店や劇場もあり、栄えていた街だったようですが、今は建物の痕跡が残されているのみ。金庫や検査場などコンクリートの一部が残っています

周辺には青々とした水田が広がり、そこにぽつんとたたずむコンクリートの塊。無常さを感じます。

●戦いの舞台、白馬高地へ
ツアーの出発地となる白馬高地駅から約1.5キロほど離れたところに「白馬高地」という小高い丘があります。駅からは歩いて行ける距離。数分間タクシーを止めてもらい、走って坂を駆け上がっていきました。

「白馬高地」と聞くといかにも美しい名前に聞こえてくるのですが、坂の両脇にはシラカバが並び、頂上には慰霊碑が立っているのです。この慰霊碑は、朝鮮戦争中に起きた「白馬高地の戦い」によるもの。

1950年6月に始まった朝鮮戦争は泥沼化し、休戦会談が始まります。その後も優位な地形を確保しようと、高地争奪戦が繰り広げられます。その戦いの一つが白馬高地の戦い。

1952年10月には395高地で激しい高地争奪戦が勃発。10日間の戦いのなかで頂上が何度も入れ替わる激戦が繰り広げられ、中共軍約1万人、韓国軍約3500人の死者を出したうえで、韓国軍の勝利に終わったのです。参考:江原道民日報(강원도민일보)

戦いの様子はソウルの戦争記念館でも再現されています。山に駆け上がっていく人が撃たれ、激戦のなかで韓国軍が勝利を収めた様子がわかりますが、戦闘に加わった兵士たちは、壮絶の苦しみを味わったに違いありません。

「白馬高地」という名は、激しい戦闘によってはげ山になり、その稜線の様子が「白い馬が横たわっている」と形容されたことから名付けられたもの。

鉄原の山並みや水田の広がる平野が美しくとも、「白馬高地」という名前の由来を知ると決して美しいものではないのです。ちなみに駅からも丘の様子を望むことができます。

●白馬高地駅からツアーに参加
白馬高地に訪れたあと、タクシーで白馬高地駅へ到着。駅へ到着する列車を待ち、15人集まれば安保見学ツアーのバスが運行されます。ツアーの回数は1日2回。午前10時40分と13時30分発。所要時間は約3時間です。


[白馬高地駅舎]

人数が集まるかどうか少し不安だったのですが、列車が到着すると、最低催行人数を満たしてバスが出発することに決まります。料金は施設使用料すべて込みで大人14,000ウォン。

ちなみにこの白馬高地駅は、京元線の鉄道分断地点。ソウルから江原道・元山(ウォンサン)へと続く線路なのですが、この白馬高地駅で分断されています。鉄原市街地にあった鉄原駅も廃駅状態のままです。

●第2トンネル
北朝鮮が奇襲攻撃を仕掛けるために作った南侵トンネルの一つで、1975年に発見されたのが第2トンネル。ヘルメットをかぶって入ります。内部の写真撮影は禁止。狭いトンネルのなかを歩いて行きます。


[第2トンネル]

全長は3.5キロほどのトンネル。軍事境界線から韓国側には1.1キロほど伸びており、軍事境界線近くまで訪れることができます。内部の写真撮影は禁止されており、写真撮影をしていたツアー参加者にガイドが厳重注意していたほどです。

●鉄原平和展望台
次に向かったのが鉄原平和展望台。バスを降りて、短いモノレールに乗って上がったところにあります。建物の裏側には室内、屋外ともに展望台があり、DMZ、北朝鮮方面を見渡せます。

私が今まで韓国で見た景色のなかで、最も美しかったのがここから見渡す風景。人がほとんど踏み入れず、手つかずのまま自然が残っています。

まさに「原風景」といった印象。写真撮影は禁止されているので、しっかり目に焼き付けておきましょう。

●月井里駅
月井里(월정리)駅は、南方限界線付近に位置する京元線の駅。白馬高地駅からは9.3キロのところに位置します。駅舎の裏側には「鉄馬は走りたい」という立て看板が置かれています。

その後ろにはレールの一部と、戦争で壊された列車の残骸がそのまま置かれているのです。軍事境界線に近いこともあり、銃を持った兵士たちがツアー客の様子を見ているのには緊張感があります。


[月井里駅]

ちなみに2017年には、京元線が北に最も近い月井里駅まで延伸する予定でしたが、昨今の緊迫した半島情勢のなか、2017年12月現在、その知らせは届いていません。

月井里駅の見学後、安保観光のツアーバスは、鉄原の破壊された市街地を走り、分断地点がある白馬高地駅へと戻っていきます。平野に広がる水田と、今は文化財となった建物の残骸が目に入ってきます。

●安保見学ツアーに参加して思うこと。
安保見学ツアーに参加すると、緊張感あるムードに包まれることもあります。そういった現場へと訪れることで、戦争というものをもう一度考えるきっかけになるのです。

国の線引きをするために激闘が起こり、10日間の白馬高地の戦いにより、両軍合わせて1万数千人の犠牲者が出たことから考えると、戦争がいかに人の命が軽視しているのか、という考えに至ります。

歴史の事実は変えられませんし、どうにか過去の教訓を生かせないものか、と思うのではありますが、この安保見学ツアーに参加して、戦闘と分断の現場を垣間見ることで、平和な日常のありがたさを再確認させてくれます。


[cassビールとハニーバターチップ]

そんなことをしみじみ思いながらバスは白馬高地駅へ到着。帰りは列車に乗り、1号線東豆川駅まで1時間弱。夏の青々とした鉄原の景色を眺めながら、ソウルへと戻ります。



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トム・ハングル(吉村剛史)

吉村剛史(よしむら・たけし) 1986年生まれ。ライター、他。2012年に韓国文化誌『スッカラ』でデビューし、同年中央日報に掲載される。これまで文化センター講座、トークイベントでの発信も1年8ヵ月のソウル滞在経験のほか、韓国100市郡以上を踏破。海外の常識をレポートする『海外ZINE』の韓国担当ライター、2018年2月号『散歩の達人』第2特集の取材・文を担当。同6月から韓国水産食品(K-FISH)広報サポーターズ。プロフィール・お問い合わせ






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